石川組製糸の創始者石川幾太郎がアメリカのバイヤーを招くための迎賓館として建てられた洋館です。
石川家には親族にキリスト教信者がいたことから
武蔵豊岡教会教会堂建設にも尽力しました。
石川製糸工場は過酷な労働を強いられた「女工哀史」に例えられるような過酷な環境ではなく
従業員のための家庭夜間学校や日曜学校などを開設し、
慈愛に満ちた雇用が行われていたそうです。
その後、関東大震災や昭和恐慌の影響で経営不振に陥り、
昭和12年(1937年)に解散し、その後も石川家が管理していましたが平成15年(2003年)に入間市に寄贈されました。
戦後は、ジョンソン基地の将校ハウスとして接収。
複数の家族が住むように改造されたため
建物のいたるところに、その跡が残っています。
正面には入母屋屋根の玄関ポーチ
化粧煉瓦張の外観は、洋館という言葉からイメージする
ロマンチックな印象はありません。
三崎弥三郎作と言われているステンドグラス
製糸に使われる
糸巻きをデザインしたものだとか。
2階の貴賓室を見学しましたが
その荒廃した室内を目のあたりにして胸が痛みました。
いつか復元してもらいたいなあ…。
竣工 1923年
設計 室岡惣七
所在 埼玉県入間市河原町13-13
※公開は不定期です。
石川家には親族にキリスト教信者がいたことから
武蔵豊岡教会教会堂建設にも尽力しました。
石川製糸工場は過酷な労働を強いられた「女工哀史」に例えられるような過酷な環境ではなく
従業員のための家庭夜間学校や日曜学校などを開設し、
慈愛に満ちた雇用が行われていたそうです。
その後、関東大震災や昭和恐慌の影響で経営不振に陥り、
昭和12年(1937年)に解散し、その後も石川家が管理していましたが平成15年(2003年)に入間市に寄贈されました。
戦後は、ジョンソン基地の将校ハウスとして接収。
複数の家族が住むように改造されたため
建物のいたるところに、その跡が残っています。
正面には入母屋屋根の玄関ポーチ
化粧煉瓦張の外観は、洋館という言葉からイメージする
ロマンチックな印象はありません。
三崎弥三郎作と言われているステンドグラス
製糸に使われる
糸巻きをデザインしたものだとか。
2階の貴賓室を見学しましたが
その荒廃した室内を目のあたりにして胸が痛みました。
いつか復元してもらいたいなあ…。
竣工 1923年
設計 室岡惣七
所在 埼玉県入間市河原町13-13
※公開は不定期です。