橦木館で、ふと 手にしたパンフレット。
満月に照らしだされている幽玄な洋館のイラストでした。
初めて聞くその名は「揚輝荘」。
とても心惹かれて 行ってみました。
地下鉄覚王山駅を出ると、日泰寺までの参道で
街に仕掛けるアート「覚王山参道ミュージアム+揚輝荘」というお祭りに遭遇しました。
アートフリマには、後ろ髪をひかれましたが、スルー。
ありとあらゆる手仕事のフリマ…。
ゆっくり見てみたかったです。
日泰寺
揚輝荘は、松坂屋初代社長伊藤次郎左衛門祐民によって1万坪の森を切り拓いて
築かれた別邸で、かつては30数棟の建物が点在していたそうです。
空襲やマンション開発などで様子が変わりましたが、当時を偲ぶ建物が
名古屋市に寄贈され、公開されています。
正門近くの橋
揚輝荘につくと、テントがあり
揚輝荘ボランティアの方に「聴松閣という洋館を見たくて来ました。」と告げると
「ああ、残念ですが 工事中です。完成は来年の8月です。」
「外観だけでも見たいです。」
「全体が足場が掛けられシートで覆われているので、見ることもできません。」
「そうですか…。」ひどく落胆してしまいました。
「少しだけ見えるところがあるので、よろしければご案内しましょうか?」
「エッ、ぜひお願いします!」
マンションの間を通り過ぎて、洋館の前にたどり着き、車寄せ近くを垣間見ました。
かつて建物の間をを結ぶ地下道があったのだそうです。
今はもう見ることはできませんが、トンネルの東口が再発見された石碑がありました。
白雲橋
お稲荷さんもあります。青い布は、アート作品です。
信長塀
伴華楼という建物内部は、ガイドツアーに入らないと見学はできないそうで
約1時間の見学会に参加させてもらいました。
尾張徳川家から移築された茶室付の和室に洋室が増築されたのだそうです。
うさぎのレリーフ
ここ覚王山は、お月見の名所なのだそうです。
煙突に、魅了されました。
聴松閣…工事が終わったら、見に行きますね!
揚輝荘◇伴華楼
設計 鈴木禎次
所在 名古屋市千種区法王町2-5-1
施工 竹中工務店(名古屋の織田信長の家臣 竹中藤右衛門が創業なのだそうです)
2012.11.3
満月に照らしだされている幽玄な洋館のイラストでした。
初めて聞くその名は「揚輝荘」。
とても心惹かれて 行ってみました。
地下鉄覚王山駅を出ると、日泰寺までの参道で
街に仕掛けるアート「覚王山参道ミュージアム+揚輝荘」というお祭りに遭遇しました。
アートフリマには、後ろ髪をひかれましたが、スルー。
ありとあらゆる手仕事のフリマ…。
ゆっくり見てみたかったです。
日泰寺
揚輝荘は、松坂屋初代社長伊藤次郎左衛門祐民によって1万坪の森を切り拓いて
築かれた別邸で、かつては30数棟の建物が点在していたそうです。
空襲やマンション開発などで様子が変わりましたが、当時を偲ぶ建物が
名古屋市に寄贈され、公開されています。
正門近くの橋
揚輝荘につくと、テントがあり
揚輝荘ボランティアの方に「聴松閣という洋館を見たくて来ました。」と告げると
「ああ、残念ですが 工事中です。完成は来年の8月です。」
「外観だけでも見たいです。」
「全体が足場が掛けられシートで覆われているので、見ることもできません。」
「そうですか…。」ひどく落胆してしまいました。
「少しだけ見えるところがあるので、よろしければご案内しましょうか?」
「エッ、ぜひお願いします!」
マンションの間を通り過ぎて、洋館の前にたどり着き、車寄せ近くを垣間見ました。
かつて建物の間をを結ぶ地下道があったのだそうです。
今はもう見ることはできませんが、トンネルの東口が再発見された石碑がありました。
白雲橋
お稲荷さんもあります。青い布は、アート作品です。
信長塀
伴華楼という建物内部は、ガイドツアーに入らないと見学はできないそうで
約1時間の見学会に参加させてもらいました。
尾張徳川家から移築された茶室付の和室に洋室が増築されたのだそうです。
うさぎのレリーフ
ここ覚王山は、お月見の名所なのだそうです。
煙突に、魅了されました。
聴松閣…工事が終わったら、見に行きますね!
揚輝荘◇伴華楼
設計 鈴木禎次
所在 名古屋市千種区法王町2-5-1
施工 竹中工務店(名古屋の織田信長の家臣 竹中藤右衛門が創業なのだそうです)
2012.11.3