冷たい雨の土曜日。
学習院生涯学習センター主催のキャンパスツアーに参加しました。
春にA日程に参加して、とても楽しかったので
中級編のB日程を申し込みました。
集合時間前に、東別館の周りを
少し散歩。
北別館(史料館)
かつて比翼型だった建物で、移設の際片翼が取り壊されました。
今回は、北別館(史料館)実習室で
学習院の成り立ちと
軍人であり学習院院長の乃木 希典(のぎ まれすけ)と内閣総理大臣を務めた寺内正毅の
エピソードなどのレクチャーを受けました。
このキャンパスツアーのテーマは「乃木院長・馬・鳩」です。
学習院では、乃木将軍ではなく、乃木院長と呼ばれています。
資料を見ながら解説を聞いた後に
1909年(明治42年)竣工当時の目白キャンパス復元図を見ながら
キャンパスを巡りました。
雨が上がり、紅葉がひときわ美しく見えます。
この扉の内側が実習室です。
北1号館脇にある「出陣の碑」
1944年(昭和19年度)の高等科文科2年生一同が戦争のため卒業を一年繰り上げ、学徒出陣に際し建設した記念歌碑を見学。
「目白ヶ丘の櫻と咲かむ」と短歌の下の句だけが刻まれた珍しい碑です。
桜となって散る決意のような歌が読まれたそうです。
落ち葉の先にありますが、写真は撮りませんでした。
乃木館
総寮部の乃木院長の居間部分を保存しています。
木立左端の扉から入り、見学しました。
部屋は畳敷きに改築され、水屋など増築したそうです。
大きく造られた窓から学生の姿を見て過ごしたそうです。
壁は合板が貼られ、外観からみる印象とはだいぶ違います。
乃木館裏手の少し先の小径に「鳩魂碑」があります。
1931年(昭和6年)陸軍から鳩20羽が贈られ、伝書鳩研究会が発足。
昭和20年に空襲で鳩舎が消失し、終戦とともに廃部になり、
のちに300羽の鳩の慰霊碑が建てられました。
1909年(明治42年)明治天皇の学習院行幸を祈念して
乃木院長の私費で造築された「榊壇」
周囲は当時沈丁花の生け垣だったそうです。
当時の国境から集められた80個の石を使って、前方後円型に築かれています。
番号が振られ、採取地を知ることが出来ます。
乃木館裏手から馬場に向かう坂道が
私は好きです。
うっそうと木樹が茂り、ここが大学のキャンパスだということを忘れそう。
馬場を見下ろす傾斜地に「乃木号の碑」があります。
日露戦争の水師営の会見の際、旅順要塞司令官ステッセルが乃木院長に贈ったアラブ種の「寿号」は、
日本の馬種改良のため鳥取県の佐伯牧場に寄贈され、約80頭の仔馬を出産し、
寿号によく似た芦毛の若馬を乃木院長に寄贈されました。
わずか4か月しか共にしませんでしたが、昭和12年まで生きて学生たちに「乃木さん」と慕われたそうです。
北2号館1階 学習院大学史料館展示室で
「桜圃名宝」展を見学。大変美しいミニ図録を頂きました。
乃木院長が寺内正毅に贈った遺書が展示してありました。
見学の最後に
目白警察署へ。
道路を挟んで外観を見学しました。
目白警察署の旭日章は、旭日を桜が囲んでいます。
旭日章に装飾のある日章旗は、警視庁管内でただ一箇所だそうです。
警内には乃木院長愛用の机が保存されていて、見学会のために見学申し込みをしたそうですが断れたそうです。
学習院関係者が申し込んで断られたのなら、一般人は見ることは出来ないでしょうね。
史料館に戻り、貴重な写真資料を見ましたが
「乃木院長記念写真帳」という大判の本は、以前chamekoさんの家で
見たものと同じものでした。
学芸員の方の説明はとてもわかりやすく、学習院の魅力が伝わってきます。
◇北史料館
竣工 1909年
移築 1979年
設計 久留正道
◇乃木館(旧総寮部)
竣工 1908年
移築 1944年